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NEVER LET ME GO



私はあまりこういう重いテーマの映画は観ないのですが、メインキャストの女優さん2人が好きなので借りてみました。

で、感想。

「原作より良いかも」

原作の日本語訳「私を離さないで」を読んだ時は、読後にひたすらやるせなさが残り、それでいて掴み所のないぼんやりとした世界を覗いていたようでスッキリしませんでした。

それが映像化されたことにより、私にとっては良い意味で物語の非情な世界があからさまに描かれ、分かりやすくなりました。
出演者の衣装はじめ、建物や景色に全くと言っていいほど明るい色が使われていない映像は、とても落ち着いていて、とても哀しい。

長くは生きられないと運命づけられた若者達は、何かを達観したような眼で人生を全うしていきます。

その同級生達を見送るのも、やがて自らも同じ運命をたどることになっている若者なのです。

世間的には魂を持たない存在とされている彼らですが、恋をし、愛情を育むことでひとときの猶予を与えられるかも知れないという希望にすがります。
けれど、その希望すら存在しないものだと知った時、魂を、心を、持つはずのない彼らであっても、当然のことながら一般の人間と同じように絶望するのでした。






舞台はとあるイギリスの寄宿学校ヘイルシャム。ファーストネーム+名字のイニシャル一文字の名前を持つ子供達が集められています。
彼らは音楽や美術などの情操教育を含めきちんとした教育を受けつつ、徹底的に健康管理をされています。
なぜなら、彼らはクローン人間として生み出され、将来は臓器提供者となる運命だから。
生徒の一人キャシーは、かんしゃくを起こして周りからからかわれがちな少年トミーと仲良くなります。
ところが、18歳で卒業するまでの間に、かつてトミーを馬鹿にしていたはずのキャシーの友人ルースが、トミーと恋人同士になってしまいます。
ヘイルシャムからコテージと呼ばれる共同生活農場に移った、キャシー、ルース、トミーの3人は他の学校出身者から
「ヘイルシャムの卒業生は、魂からの愛を持つことを証明できれば、カップルが数年一緒に暮らすための”猶予”が与えられる」という噂を聞かされます。
「そんな噂は根拠がない」と否定しつつも、カップルとしてトミーとの仲を深めようとするルース。
その状況にいたたまれないキャシーは、「介護者」として働くために、コテージを去っていきます。
しばらく経って、とある病院ですでに2回の「(臓器)提供」を終えたルースと再会するキャシー。
彼女は、自分の身体が次の提供に耐えられないことを悟っていました。
そして、キャシーとルースは連れだってトミーに会いに行きます。

トミーもまた数回の提供を経験していました。

「本当に好きあってカップルになるべきだったのはキャシーとトミーの二人だ」と詫びるルース。
彼女は、例の噂の”猶予”から自分だけがはじかれるのをおそれ、意図的にトミーとカップルになったのでした。さらにルースはかつてのヘイルシャムのマダム(学長)の住所を手に入れており、「そこへ行けば猶予の申請が出来る」と2人に勧めます。
自分たちに魂があることの証明として、トミーの描きためた絵を携え、マダムの元を訪れるキャシーとトミー。
ところが、待ち受けていた答えは「猶予の制度など初めから存在しない。マダムや当時の校長であっても生徒達を救うことは出来ない」というものでした。

帰り道、車から降りて空に向かって絶叫するトミーの姿は、かつてヘイルシャムで男子生徒達から受け入れられずに地団駄を踏んでいた時と同じ。
自分ではどうしようもないことに、怒り、絶望しているのです。
それを、当時と同じくそっと抱きしめるキャシー。

最後の提供に臨むトミーを手術室の外から見守るキャシー。ガラス越しに視線を交わす二人の目は、優しさ、諦め、安堵、お互いへの思いやりといった様々な感情を表すようでした。

トミーが人生を”完了”してしばらくたった後、キャシーの元へ提供の通知書が届きます。
思い出の土地に一人たたずみ、自分を待ち受ける提供者としての運命の先に、トミーやルースが待っているだろうと思いを馳せるキャシー。
その目には、自分の運命を悲観するのではなく、自分を含めた提供者の臓器をもらう人間であってもやがては人生を”完了”するのだ、という達観し、自ら全うしようという意志が込められているように見えました。
by daysofWLA | 2012-04-29 22:38 | 観たもの
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